昭和61年、初夏の金曜日。
時間は午後5時半を過ぎたころ。
夕暮れ時。
オレンジ色の空の下で、龍生、和馬、八千代の三人は、街はずれにある古い洋館を見上げていた。
カーカー、カー!
鴉がこちらを睨みつけているようにも見える。
洋館のまわりには蜘蛛の巣が張りめぐらされ、白い壁のペンキはところどころ剥がれている。窓枠はゆがみ、今にも外れてしまいそうだった。
それなのに、夕日に照らされたその姿は、なぜだかとても美しく見えた。
和馬
「お兄ちゃん! やっぱり帰ろうよ……」
和馬が龍生の服をぎゅっとつかむ。
八千代
「今さら?」
八千代はそう言ったものの、その声は少し震えていた。
龍生も洋館から目を離せない。
三人がここへ来た理由、それは学校で有名になっている噂を確かめるためだった。
夜になると墓地へ現れる男。誰もいないお墓に光をあて、いつまでもサスサスとなでている怪しい老人がいると。
その姿を見た人もいる。
話しかけられた人もいる。
泣いて帰った人もいる。
そして、その老人は丘の上の洋館に住むという。
いま学校で一番、噂の存在だった。
三人は、墓地に現れる怪しい老人の正体を確かめるため、その洋館までやって来たのだ。
まだ三人が立ちすくんでいると、突然、
「バウッ!!」
という、しわがれたような、しゃくれたような、不思議な鳴き声が響く。
三人が飛び上がって振り返ると、そこには、なんとも不細工でしわくちゃな黒い犬がいた。
つぶれた鼻。
ギョロリとした目。
しわくちゃの顔。
強そうには見えないが、突然現れたため、三人は大慌てになる。
後ずさった拍子に、
ガタン!
古い立て看板を倒してしまう。
さらに、その上へ三人まとめて乗っかってしまった。
顔を上げると、犬のリードを持った老人が立っていた。
大きな麦わら帽子。
ランニングシャツ。
軍手をはめた手には、使い込まれた鎌。
もう片方の手には、大きなビニール袋。
夕日の逆光で顔ははっきり見えないが、麦わら帽子の下から覗く、大きな丸眼鏡の光がとても印象的だった。
三人には、ここまでの雰囲気もあり、もの凄く怖い顔に見える。
しかし、老人は怒っているのではない。
ただ真顔なだけだった。
三人が看板の上で固まっていると、老人は何も言わず、
「ゴホン」
と咳払いをして、足元を指さす。
三人は自分たちが看板の上に乗っていることに気づき、慌てて飛び退く。しかし、女の子は動けずにいた。
男の子二人がどいたことで、倒れた看板に書かれていた文字が初めて見える。
――グレコお墓探●●――
[挿絵予定]
老人は、思っていたよりも穏やかな声で尋ねる。
「きみたち、怪我はないかね?」
「ずいぶん激しく倒れ込んだようだが?」
三人は謝るが、八千代だけは腰が抜け、立てない。
龍生と和馬が逃げようとしたとき、八千代が弱々しく呼び止める。
八千代
「待って……タッちゃん……」
龍生が振り返る。
和馬も、動けない八千代を見る。
老人は八千代の様子を見て、洋館の中で休んでいくよう勧める。
「美味しいお菓子もある」
「この年になって甘いものに目覚めてのぉ」
そして、
「子供『バウ!』食べるのも楽しかろう」
と言う。
本当は、
「子供と食べるのも楽しかろう」
と言ったのだが、「と」の部分に犬の鳴き声が重なってしまう。
三人には、
「子供を食べるのも楽しい」
と聞こえ、顔面蒼白になる。
老人は犬のリードを軽く引き、
「さあ、リンクル。ご案内しなさい」
と告げる。
リンクルと呼ばれた犬は胸を張るように前へ出る。
顔は驚くほどしわくちゃで表情は分からなかったが、しっぽだけは嬉しそうに揺れている。
リンクルが玄関に近づくと、扉が音もなく開く。
そこに立っていたのは、背の高い女性だった。
子どもたちには天井まで届きそうに見える。
黒い服。
白いエプロン。
昔の看護師のような格好。
真っ白な肌。
大きな目。
顔の半分を隠す、大きな白いマスク。
「こちらへどうぞ」
感情の見えない声だった。
老人が、立てない八千代のことをその女性に告げると、その女性は八千代を軽々と持ち上げ、お姫様抱っこで洋館の中へ運ぶ。
八千代はその容姿からは想像できない力強さにびっくりしながらも、マスク越しにもわかる整った顔と、透き通るような青い瞳に見惚れてしまっていた。
その足元では、リンクルが大喜びで女性の周囲を走り回り、前足を上げ、しっぽを振る。
しかし、女性に、
「リンクル」
と一言だけ言われると、すぐに止まる。
しっぽだけは、ぶんぶんと振れたまま。
硬直しているように見えた八千代が運ばれていく後ろを、龍生と和馬も渋々ついていく。
和馬が不安そうに龍生を呼ぶ。
和馬
「お兄ちゃん……」
女性は老人に、
「遅かったですね」
と尋ねる。
老人は、
「どうしても墓地の雑草が気になっての」
「散歩ついでにスパッとな」
と鎌を振り答える。
街では、墓地で墓をなでる怪しい老人として噂されているが、実際には墓地の雑草を刈り、手入れもしているようだ。
女性は八千代を応接室のソファへ優しく下ろす。
その後、三人に紅茶とお茶菓子を用意する。
用意を終えると玄関の外へ出て、倒れていた看板を元に戻し、門を閉めて表示を「CLOSED」に変える。
三人は、その様子を応接室の窓越しに見ている。
「門が、閉められてる……」
三人には、外へ逃げる道まで閉ざされたように見える。
女性は、ただ営業を終えただけだった。
しかし、三人は怪しい洋館の中に閉じ込められたように感じ、不安を募らせる。
つづく